本章の内容
生計の四重苦
一部の裕福な方を除き、大半の方が将来の生計に何かしらの不安を覚えているのではないでしょうか?
なぜ不安を覚えるかは、数字を見れば明らかです。
世帯所得の平均は、過去20年間で約20%も減少。反対に、税金や社会保険費の負担率は、所得の1/4を超えるまでに増加。所得が減って、負担が増えたのですから、生計に余裕がなくなるのは当然だと言えます。今の生計に余裕がなければ、将来に必要なお金を貯めるのは困難です。
その中でも比較的安定かつ高収入と目されてきた大企業では、定年延長の法制化を尻目に、大規模な早期退職者の募集が相次ぎ、事実上の50歳定年が着々と進んでいます。反対に、年金受給開始年齢の更なる繰り下げは不可避であり、今の現役世代は70歳まで年金を当てにできないと考えるのが妥当に思われます。定年が早まり、年金受給が遅くなるのですから、長きにわたり大企業以外で一定以上の収入を得る必要があります。
所得と負担、雇用と給付、まさに「生計の四重苦」と言える状況です。
「真面目に会社勤めをすれば、現役期間は元より、定年後もそれなりの暮らしを送れる」という昭和の常識は、令和の今日において、「真面目に会社勤めをしていても、定年後は元より、現役期間ですら覚束ない」という常識に、180度転換したと言えるのではないでしょうか。
将来の生計不安を労働収入だけで解決するのは難しい
残念ながら、国の財政や人口動態などを考えると、この流れが容易に変わるとは思えません。もちろん、政策や企業努力による改善に期待する所はありますが、それでもなお、自分で抗うことは避けて通れない状況です。
将来の生計不安への対策は、色々あると思います。
より良い条件の会社へ転職する、できるだけ長く勤められるジョブにシフトする、といった考えは堅実な案だと思います。もし、ある程度の給料を維持したまま70歳頃まで働けるのであれば、生計という点においてはベストな選択に思えます。
ただ、冒頭に述べた社会動向を踏まえますと、残念ながら、それができる人は限られるように思います。社会構造が劇的に変化しない限り、給料の水準と雇用期間の長さが反比例する傾向は、今後も続くと考えるのが自然です。また、自身の健康や親の介護といった個人の事情、ハラスメントや過重労働といった会社の事情、AIの普及に伴う業務の整理といった社会の事情など、良い条件で長く働き続けることを阻害する要因は、その辺に転がっています。
生計不安への対策として副業を始めるという選択肢もあります。プラスαの収入を得ることで、将来に備えて貯蓄できます。また、副業で培ったスキルや知識が本業に活かされて給料アップに繋がったり、副業が縁となり長く勤められる会社へ転職できたり、ということも期待できます。ただ、こうした理想的な出口に繋がることは、むしろ稀なのではないでしょうか。多くの場合、過重労働により一時的にプラスαの収入を得た、ということに留まる気がします。
これらを踏まえますと、今の時代に収入を「労働」だけに頼るのは、なかなかリスクの高い選択に思えます。
不労所得とは「投資」あるいは「経営」のこと
将来の生計不安を労働だけで解決するのが難しいのであれば、労働以外の所得、すなわち不労所得に目を向けるしかありません。
「不労所得」という言葉を聞くと、勤勉を美徳とするこの国では、眉を顰める人が少なくない気がします。「不労=働かない=楽をする」という式が頭に浮かび、「楽して儲けるなんて、けしからん」といった思いが先行するのかもしれません。
もちろん、この認識は正しくありません。
私たちが生きている資本主義の社会では、富を生み出す手段として、労働と並び、投資および経営の3つが定義されています。ですので、不労所得とは、投資もしくは経営を意味します。
投資はともかく、経営によって収入を得ることに眉を顰める人は、おそらく居ないと思います。投資家には投資家としてのやるべきことが、経営者には経営者としてのやるべきことがあり、それをやらない投資や経営はほぼ確実に失敗するので、決して楽して儲けている訳ではありません。
労働、投資、経営の3者の違いは、平たく言えば、所得を得る為に何を提供するかにあります。労働は労働力、投資はお金、経営はヒト・カネ・モノ(サービス)のしくみ、ということです。
当然ながら、これらのうちどれかひとつしか使えない、というルールはありません。むしろ、他のふたつを使えばより大きな価値を生み出せるのに、どれかひとつしか使っていないのであれば、「もったいない」とも言えます。
つまり、主に労働力を提供して収入を得ている人が、「お金」や「しくみ」も活用して収入を得ることは、自分が持つリソースを有効に活用できている、と評価されてもおかしくないのです。
マニュアルトレード vs システムトレード
おそらく、これをお読み頂いている方の大半は、不労所得のひとつである「投資」に関心を持たれているのではないでしょうか。人にもよりますが、不労所得を得るのに、経営よりも投資の方がハードルが低いと感じる方が多いのだと思います。
ただ、関心は同じでも、投資に対する考え方は千差万別です。
「富を生み出す株式こそ投資の王道」vs「倒産リスクのない為替取引こそ優れている」
「破産することのない現物取引に限る」vs「資金効率を考えればレバレッジは不可欠」
「トレードとは長期でやるもの」vs「リスク回避には短期取引が優れる」
「ファンダメンタル分析にしか価値はない」vs「チャート(テクニカル)分析こそ全て」
まるで、どこかの国の党首討論を見ているかのように、決して交わる事のない対立した考え方が並存しています。こうした対立は、マニュアルトレード(人が手動で行うトレード)とシステムトレード(プログラムが自動で行うトレード)の間にもあります。
このブログはシステムトレードの運用戦略に関するものですが、私自身は、必ずしもシステムトレードの方が優れているとは考えておりません。実際、相場を読む力を深め、トレードの技法を極め、一瞬の機会を逃さない勝負勘を持って利益を上げ続けているマニュアルトレーダーに、敬意を覚えずにはいられません。
それではなぜシステムトレードをやっているかと言うと、主に3つの理由によります。ひとつは「誰でも再現できること」、2つ目は「十分な検証が可能なこと」、3つ目は「経営として取り組めること」です。
これらの理由について、ひとつひとつ説明したいと思います。
誰でも再現できるシステムトレード
友人の話しですが、マニュアルトレードで毎年利益を上げている知り合いから勝てるトレードの方法を教えてもらったものの、自分でやってみたら全然勝てなかったそうです。もし私が教わったとしても、やはりその友人と同じく勝てないと思います。
同じ方法なのに、ある人は勝てて、別の人は勝てない。マニュアルトレードは、属人的な要素が大きい為、実は仕方のないことなのです。
これは、皆さんの職場やコミュニティでも、よくある話だと思います。同じことを教わっても、すぐにできる人がいる一方、いつまで経ってもできない人もいます。とても優秀な先生に教わったからといって、皆がその先生のレベルに到達できるわけではありません。むしろ、そのレベルに到達できるのは一握り、と言ってもよいのではないでしょうか。
でも、コンピュータがトレードを行うシステムトレードは、そうでありません。トレードの達人が作ったプログラムを、達人が実行しても、初心者が実行しても、同じトレードになります。プログラムに書かれたルールに従いトレードが機械的に行われるので、誰が実行したかは関係ありません。属人的な要素が入るとすれば、プログラムをいつ稼働させ、いつ停止させるか、といったタイミングだけになります。
だからこそマニュアルトレードの達人を目指す、という方もおられると思いますが、凡人であることを自覚する私は、躊躇なくシステムトレードを選択します。
十分な検証が可能なシステムトレード
システムトレードは、相場がこうなればトレードをこうするというルールを、予めプログラムに書き込みます。
当たり前ですが、書き込まれるトレードルールが勝てるルールであれば、プログラムが行うトレードから利益が得られます。反対に、負けるトレードルールであれば、プログラムが行うトレードは損失を膨らませることになります。
勝てるルールの作り方は色々あると思いますが、どのような作り方をしても、共通する作業があります。それは、過去のデータを用いて検証することです。ルールをプログラムに書き込むシステムトレードは、検証作業がとても容易であり、過去データを対象にプログラムを走らせれば済むのです。そして、その検証は定量的なのです。
残念ながら、マニュアルトレードではそうはいきません。トレードの判断が人に委ねられている為、作業量には自ずと限界があり、長期や多数の検証は実際のところ難しいと言えます。
この点が、質の悪いマニュアルトレード手法の情報が世の中に溢れかえっている原因だと思われます。そして、こうした情報の氾濫が、真に優れたトレード手法を探すのを困難にしているのです。
投資を経営として行うシステムトレード
システムトレードを選択する3つ目の理由は、トレードを経営として行えることにあります。
マニュアルトレードでは、常にトレードという労働が必要になります。不労所得を得るのに、自分の労働力を前提とするのであれば、もはや不労所得とは呼べません。労働力を提供して所得を得るのであれば、トレードよりも効率的な方法はいくらでもあります。
それに対し、システムトレードは、コンピュータがトレードしてくれるので、自分の労働力を前提としません。もちろん、新たなプログラムを開発したり、プログラムの稼働環境を整えたりといった労働は必要ですが、これらは仕組みを作る為の労働なので「経営」に属します。一度仕組みを作ってしまえば、その仕組みを動かしてくれるのは、自分以外です。
投資を経営として行うことは、自分の労働力を別のことに使える、という利点だけではありません。
労働の場合は今のトレードに集中する必要があるのに対し、経営の場合は、将来のトレードを考えることができるのです。つまり、コンピュータが働いてくれている間に、トレード対象の拡大や新たなトレードルールの導入を図れるのです。そして、コンピュータという労働力を確保できさえすれば、こうした拡大や導入に制限がないのです。
システムトレード vs 物販事業
「システムトレードは経営」と言うと、もしかしたら、「経営はそんな単純なものではない」というお叱りを受けるかもしれません。確かに、大規模に事業を展開されている経営者からみればその通りなのですが、もしあなたが小さな会社を立ち上げるとしたらどうでしょうか?
分かり易い例として、商品を安く仕入れて高く売る物販事業と比較してみたいと思います。
物販事業は、扱う商品を決め、仕入先(卸など)と納品先(顧客)を確保して、取引を遂行してくれる社員とオフィスを確保すれば、少なくとも資金が続く間は事業が回ります。
優秀な社員がいて、安い所で仕入れて、高い所で売ってくれれば、収益が生まれます。そして、合算した収益が事業に掛かるコストを上回れば、黒字経営になります。経営者としての腕の見せ所は、どの商品を扱うのが良いか、如何にして優秀な社員を採用育成するか、事業コストをどう合理化するか、といったことになります。
この物販事業にシステムトレードを当てはめてみます。
商品の選別を「通貨ペアの選別」、仕入先と納品先を「FX会社の口座」、取引を遂行する社員の採用や育成を「トレードプログラムの開発および購入」、オフィスの設置を「プログラムを稼働させるサーバ環境の構築」、資金を「取引証拠金」と捉えることはできないでしょうか。
むしろ、イーコマースの進展により、モノの流れと情報の流れの分業化が進み、物販事業の形態は、益々システムトレードに近づいているようにすら見えます。
システムトレードは事業モデルとしても優れている
改めてシステムトレードを事業として捉えると、次のようになります。
優秀なトレードプログラムが、安い時に仕入れて、高い時に売ってくれれば、収益が生まれます。トレードに掛かるコストを収益が上回れば、黒字になります。システムトレーダーの腕の見せ所は、どの通貨ペアを扱うと有利か、如何にして優秀なトレードプログラムを開発および購入するか、トレードコストをどう合理化するか、になります。
このように、システムトレードを経営として位置付ければ、実はとても優れた事業モデルだと思います。
なぜなら、社員はトレードプログラムなので、福利厚生や労務管理は一切必要ありません。また、物理的なオフィスは必要なく、安価なサーバを外部に借りるだけで事足ります。当然在庫を抱える必要もありません。つまり、システムトレードは、黒字化し易い事業モデルだと言えるのです。
また、収益を上げるまでに、それほど多くの時間を必要としない点も優れています。一般的な事業では、サービスを開発し、マーケティングを行い、お客様に販売することで、ようやく収益が生まれます。システムトレードは、成熟した市場があるので、マーケティングや販売を行う必要がないのです。
システムトレードは、不労所得に適した投資形態であると共に、もうひとつの不労所得である経営という観点からも、好ましい形態だと言えるのです。